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東京国立博物館 平成館
東京国立博物館 平成館
〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9

  

特別展 ポンペイ

SPECIAL EXHIBITION POMPEII

The eruption of Vesuvius and the burial of Pompeii

― そこにいた。 ―

 紀元後 79 年、イタリアのナポリ近郊のヴェスヴィオ山で大規模な噴火が発生、ローマ帝国の都市であったポンペイが火山噴出物に飲み込まれました。 火山灰で埋没した古代の居住地には、当時の人々の生活空間と家財がそのまま封印されています。 この「タイムカプセル」の中身を解き明かすべく、ポンペイでは 18 世紀から現在に至るまで発掘が続いています。
 本展覧会では、モザイク、壁画、彫像、工芸品の傑作から、豪華な食器、調理具、といった日用品にいたる様々な発掘品を展示。 古代ローマ都市の繁栄と、市民の豊かな生活をよみがえらせます。
 ポンペイ遺跡の膨大な遺物を収蔵するのがナポリ国立考古学博物館です。 本展覧会は、同館が誇る名品がかつてない規模で出品される 「ポンペイ展の決定版」 ともいえる展覧会となります。 2000 年前に繁栄した都市と、そこにいた住民たち。 その息吹を体感できた時の感動と興奮。 特別展 「ポンペイ」 では、発掘資料の実物ならではの魅力をお楽しみいただけます。


会期:2022 1/14(金) ~ 4/3(日) 東京展は終了しました。
開館時間:午前9時30分~午後5時
※(入館は閉館の 30分前まで)

休館日:月曜日、3/22日(火)
※ただし、3月21日(月・祝)、3月28日(月)は開館。

会場: 東京国立博物館 平成館 (上野公園)

会期:2022 4/21 ~ 7/3 京都巡回展は終了しました。
   会場: 京都市京セラ美術館(京都・円勝寺町)


'2022 1_13 報道内覧会 特別展「ポンペイ」の会場内の風景です。
画像をクリックすると 「小野塚拓造(主任研究員)の説明」 が大きな画像でご覧いただけます。

「ポンペイ―No.18 ビキニのウェヌス」東京国立博物館 平成館

・No.18 《ビキニのウェヌス》 一軀 前 1~後 1 世紀 ポンペイ、「ビキニのウェヌスの家」(Ⅰ11,6)、アトリウム(2)出土 大理石(彩色・金彩の痕跡あり)、目:練ガラス

・No.18 《ビキニのウェヌス》 沐浴する直前でサンダルをん脱ぐウェヌスの姿、装身具を表す金彩や女神の両目は練ガラスで作られている。

特別展 「ポンペイ ― ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没 ―
報道内覧会 '2022 1_13
会場: 東京国立博物館 平成館


― ナポリ国立考古学博物館の至宝 150 点が一挙集結!―
  

~ポンペイの代表的 3 軒の邸宅「ファウヌスの家」「竪琴奏者の家」「悲劇詩人の家」から発掘された品々~


  

「みどころ」―「ポンペイ―ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没」カタログ、 PRESS RELEASE などからの抜粋文章です―

Ⅰ. ナポリ国立考古学博物館の至宝 150 点が一挙集結! 
古代ギリシャ・ローマ、特にポンペイ周辺から出土した遺物の質と量で他のコレクションの追随を許さないイタリア・ナポリ国立考古学博物館。 本展はその全面的な協力のもと、日本初公開を含む約 150 点の名品を紹介します。

Ⅱ. 博物館で遺跡巡り、2000 年前にタイムスリップ!
ポンペイ遺跡の魅力は、何といっても、建築物や出土物の保存状態がよいことです。 遺跡を訪れると、2000 年前の街にタイムスリップしたように感じます。 本展の後半では、「ファウヌスの家」 「竪琴奏者の家」 「悲劇詩人の家」 に注目し、それぞれの一部を再現展示します。 会場内を歩きながら、遺跡や生活空間の雰囲気を感じることができます。

Ⅲ. 圧倒的な没入感、めくるめく高精細映像体験!
大迫力のヴェスヴィオ山噴火CG、臨場感あふれる 「ファウヌスの家」 3D映像、そしてナポリ国立考古学博物館で修復が進む 「アレクサンドロス大王のモザイク」 を高精細映像で! 最先端テクノロジーで古代都市ポンペイのすがたを体感いただきます。

「展覧会の構成」 序章、1~5 章
序 章 ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没 Introduction The eruption of Vesuvius and the burial of Pompeii
1.  ポンペイの街―公共建築と宗教 Chapter 1 The city of Pompeii: public architecture and religion
2.  ポンペイの社会と人々の活躍 Chapter 2 Sociery and people of Pompeii
3.  人々の暮し―食と仕事 Chapter 3 Daily life in Pompeii: food and work
4.  ポンペイ繫栄の歴史 Chapter 4 Pompeii: narratives of prosperity
5.  発掘のいま、むかし Chapter 5 Excavations, then and now


'2022 1_17 報道内覧会 「ポンペイ―ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没」 の各章の概要と会場内展示風景です。
画像をクリックすると 「1. ポンペイの街―公共建築と宗教」 の拡大画像がご覧いただけます。

 No.4 《バックス(ディオニュソス)とヴェスヴィオ山》
・No.4

序章 「ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没」
―ヴェスヴィオ山の周辺地域は風光明媚な土地として知られている。 火山灰土壌は果物の栽培に適しており、ポンペイはワインやオリーブ油は有名だった。

 79 年のある日の朝、ヴェスヴィオ山の噴火が始まった。 火口から約 10 Km離れたポンペイには、昼過ぎから 11 時間にわたって大量の灰や軽石が降り注いだ。 街から脱出するものもいれば、家の中に逃げ込む者もいた。 だが次第に、噴出物の重みで家々の屋根は落ち、残った者は閉じ込められていく。 翌朝には高温の火砕サージと火砕流がポンペイにまで到達し、まちの全ては死に絶えた。
No.1《女性犠牲者の石膏像》、No.2《凝灰岩にはまり込んだ片手鍋》
No.1/ No.2

・No.4 《バックス(ディオニュソス)とヴェスヴィオ山》 1面 62~79 年 ポンペイ、「百年祭の家」(IX8,3.7)、 アトリウム(49)出土、東壁 フレスコ
・No.1 《女性犠牲者の石膏像》 一軀 79 年/1875 年 ポンペイ出土 石膏/ ・No.2 《凝灰岩にはまり込んだ片手鍋》 1 個 79 年 ポンペイ出土 ブロンズ、凝灰岩

・No.4 《バックス(ディオニュソス)とヴェスヴィオ山》 このフレスコ画は、装飾中央には単一峰のヴェスヴィオ山が見え、その頂上までブドウ棚の列が続いている。 左手にはワインの神バックスがおり、ブドウの実を身にまとう姿は、ブドウの房のようだ。79 年の噴火以前のヴェスヴィオ火山は単一峰で、頂上までブドウ畑が広がっていた。/ ・No.1 《女性犠牲者の石膏像》 79 年の噴火物の堆積層の中に空洞を見つけることがある。 それは、家具や窓枠などと木製の物体、さらには人間の遺体などの有機物が分解されることによって起こる。 こうした空洞に、石膏を水で溶いたものをいっぱいになるまで注ぎ、石膏が完全に乾くまで置いてから掘り出すと、空洞の原因になったものが明らかになる。 この石膏像は若い女性のもので、1875 年に石膏取りされた。/ ・No.2 《凝灰岩にはまり込んだ片手鍋》 平らな柄のついたブロンズ製の片手鍋が、79 年の噴火の影響で凝灰岩に結合した状態で発見された。


'2022 1_17 報道内覧会 「ポンペイ―ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没」 の各章の概要と会場内展示風景です。
画像をクリックすると 「3. 人々の暮らし―食と仕事」 の拡大画像がご覧いただけます。

2.ポンペイの社会と人々の活躍
No.49/ No.64

2. 「ポンペイの社会と人々の活躍」
―ポンペイは貧富の差の激しい格差社会だった。 ローマ化以前には、サムニウム人が上流層を占めていたが、前 80 年以降帝政期はローマ植民者がその上位に立ったが、権勢を誇るサムニウム人の家系は存在し、他都市から新たに流入する者たちや解放奴隷から身を立て、社会的影響力を手にする者もいた。

 ポンペイの街で暮らした裕福な市民たち。 宴席を飾った豪華な品々、教養人であることを示そうとした家財や装飾から、裕福な市民の嗜好が浮かび上がります。 また、街の有力者の多様な出自にも注目します。 ポンペイの資産家には、ビジネスの才覚でのし上がった解放奴隷や低い出自の女性もいたのです。 こうした人物に因んだ発掘品からは、一発逆転のチャンスがあった古代ローマ社会の動的な側面がうかがえます。 一方で、都市の人口のかなり (一説によれば 4 分の 1 ほど) は奴隷だった。
3. 金庫
No.40/ No.41/ No.71

・No.49 《エウマキア像》 1 軀 1 世紀初頭 ポンペイ、「エウマキアの建物」(Ⅶ 9,1)、クリユプタ出土 大理石/ No.64  《ヘルマ柱型肖像(通称「ルキウス・カエキリウス・ユクンドゥスのヘルマ柱」) 1 基 前 1~後 1 世紀 ポンペイ、「ルキウス・カエキリウス・ユクンドゥスの家」(V 1,23-26)、アトリウム(b)出土、東壁、タブリヌム(i)の北の側柱そば 大理石、ブロンズ
・No.40 《ヘタイラ(遊女)のいる饗宴》 1 面 1 世紀 エルコラーノ出土 フレスコ/ ・No.41 《饗宴場面》 1 面 1 世紀 ポンペイ、「ラオコーンの家」(Ⅵ 14,28.33)、寝室(d)出土、北壁 フレスコ/ ・No.71 《金庫》 1 台 1 世紀 ポンペイ、「トリプトレモスの家」(Ⅶ 7,5)、アトリウム(b)出土 箱:木、上張り:鉄、ブロンズ(銅・ブロンズ・錫の象嵌細工)

・No.49 《エウマキア像家父長制のローマと同じく、ポンペイでも女性の地位は高くなかったが、家の女主人であるマトローナ(既婚女性)は敬意をもって遇された。 最高の名誉は、ポンペイの公的女性神官になることだ。 この、女性像は頭にマントをかぶり、厚いキトンをまとう女性神官として表現されている。 ポンペイの毛織物業者たち(フロネス)が、同業者組合の保護者であり、ルキウス・エウマクスの娘であるエウマキアを顕彰して立てた像である。 彼女の父は、アンフォラやドリウムや瓦の製造所を所有し、ワインの製造まで手掛けた裕福なポンペイ市民であった。 /No.64 《ヘルマ柱型肖像奴隷は主人の遺言により、あるいは金を支払い、奴隷身分から解放された。 大理石のヘルマ柱には以下の銘文が刻まれている。 われらがルキウスの守護神に解放奴隷のフェリクスが建立した。 この家で出土した中で最も古い書字版には、この肖像の建立者として解放奴隷のフェリクス (ユクンドゥスの父親または祖父と思われる) の名前が刻まれている。 /・No.40 《ヘタイラ(遊女)のいる饗宴》 この「タブロー画」は、ソファー台の上に横たわる一組の男女の親密な饗宴の場面を表している。 /No.41 《饗宴場面 彼らの前には小卓があり、その上には様々な料理が載っている。 /No.71 《金庫ユピテルへの奉納の場面が表されたこの金庫は、空の状態で発見された。 その両脇には花模様の 2 枚の四角いパネルがあり、これも銅に錫の象嵌が施されている。


'2022 1_17 報道内覧会 「ポンペイ―ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没」 の各章の概要と会場内展示風景です。
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No.153 《イフィゲネイアの犠牲》
No.153

4. 「ポンペイ繫栄の歴史」
―ポンペイは、オスキ語を話す先住民に加え、前 8 世紀から南イタリアに植民を開始、クマエやネアポリス(現在のナポリ)といった都市を建設したギリシャ人や、前 7 世紀にはカンパニア地方に勢力を拡大したエトルリア人によって形成された。 前 6 世紀には、最初の市壁や神殿も建設された。

 本章では、ポンペイ繁栄の歴史を示す 3 軒の邸宅 「ファウヌスの家」「竪琴奏者の家」「悲劇詩人の家」 に注目し、会場内に邸宅の一部を再現します。 モザイクや壁画の傑作、出土した生活調度品を鑑賞しつつ、2000 年前の邸宅の雰囲気を感じていただきます。 「ファウヌスの家」 は前 2 世紀にさかのぼる古い邸宅で、ヘレニズム美術屈指のモザイク装飾が残されています。
No.123《スフィンクスのテーブル脚》No.148《竪琴を弾くアポロ》No.149《家の模型》
No.123/ No.148/ No.149

・No.153 《イフィゲネイアの犠牲》 1 面 50~79 年 ポンペイ、「悲劇詩人の家」(Ⅵ8,3.5)、ペリステュリウム(10)、東の列柱廊出土、北壁 フレスコ
・No.123 《スフィンクスのテーブル脚》 1 台 アウグストゥス時代(前 27~後 14 年頃) ポンペイ、「ファウヌスの家」(Ⅵ12,2)、第 2 ペリステュリウム(39)出土 ペンテリコン大理石/ ・No.148 《竪琴を弾くアポロ》 1 軀 前 1 世紀後半 ポンペイ、「竪琴奏者の家」(I 4,25)、ペリステュリウム(32)出土 ブロンズ/ ・No.149 《家の模型》 一式 1861 年 木、コルク、テンペラ

No.153 《イフィゲネイアの犠牲 住宅のペリステュリウムに描かれたこの壁画の中央には、オデュッセウスとディオメデスに抱えられ、アルテミスへの生贄として運ばれていくイフィゲネイアが表されている。この絵画はギリシャ悲劇の1つ 「アウリスのイフィゲネイア」 として知られるエピソードを描いている。 / No.123 《スフィンクスのテーブル脚1831 年に 「ファウヌスの家」 で発見された大理石テーブルには、座ったスフインクスをかたどった脚がついていた。 アテネ郊外のペンテリコン大理石が利用されて、この像の制作時期は、アウグストゥス時代に位置づけられる。 / No.148 《竪琴を弾くアポロ この彫刻は、前 5 世紀の様々なモデルから着想を得て前 1 世紀に制作された折衷的な作品である。 アポロンは左手にキタラ(竪琴)、右手にピックを持ていた。



'2022 1_17 報道内覧会 「ポンペイ―ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没」 の各章の概要と会場内展示風景です。
画像をクリックすると (展覧会ゲスト 「ファウヌスの家」 ―アレクサンドロス大王のモザイク) の拡大画像がご覧いただけます。

Mount Vesuvius & POMPEII

「ポンペイ POMPEII」 ―ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没の自然環境― (※図録などからの抜粋文です)

 イタリア中部にあった人口 1 万人ほどの都市がヴェスヴィオ山の噴火で一瞬にして埋没した。 火山灰が防腐剤のような働きをしたこともあり、火山灰の下に眠っていたポンペイの都市は、 2000 年前 (日本では弥生時代) とほとんど変わらない状態で残っていたのです。 悲劇の街は、遺跡として当時の暮らしを伝えるタイムカプセルとなった。

 ポンペイを含めたヴェスヴィオ山とナポリ湾周辺は、紀元前 8 世紀頃にこの地に人が集まって集落ができて以降、日光浴や景色を楽しみたい人気の高い富裕層向けの観光地や保養地へと街は少しずつ変化を遂げて、やがてローマ人の別荘地としても発展します。 しかし、西暦 62 年 2 月にポンペイを襲った地震で、ポンペイやカンパニア諸都市は大きな被害を受けますが、 直ぐに街は以前よりも立派に再建されていく、途上で地震の災害から 17 年後の西暦 79 年 8 月 24 日以降、午後 1 時頃ヴェスヴィオ山の大噴火とともにポンペイ市街地を覆いかぶさるように火山灰が一昼夜にわたり降り続けた。 翌 25 日、噴火から 12 時間後、発生した火砕流は 「火災サージ」 と呼ばれ灰や岩石や火山ガスの比率が高く密度が小さいため高速約 100 kmを超える速さで山の斜面を雪崩れのように流れ降りポンペイを襲い、そこに住んでいた人々や家屋もろとも全て、一瞬にして完全に地中に埋まった。(そこには約 2,000 人、または 16,000 人ともの生き埋め説がある) 市街地まで溢れ出た火災サージの温度は 700 ℃近くでこれほどの温度と速さの溶岩に襲われたらまず逃げ切ることは出来なかったであろう、噴火が収束に向かった頃、ポンペイは何百万トンもの火山灰の下に埋まってしまった。

 ポンペイ遺跡の代表的な 3 軒の邸宅 「ファウヌスの家」 「竪琴奏者の家」 「悲劇詩人の家」 から発掘されたブロンズ像、モザイク、フレスコ画などと有名な 「綱渡りのサテュロス」 などの壁の装飾の断片を組み合わせての、「キケロ荘」 の食堂も、注目すべきでしょう。 ポンペイの住宅や壁面装飾は、古代ローマ世界の至る所で見られるものと同じ建築類型、同じ装飾形式を踏襲していたという。


お問合せTel:050-5541-8600 (ハローダイヤル)
展覧会公式サイト:https://pompeii2022.jp/
展覧会公式Twitter:@pompeii2022
東京国立博物館ウェブサイト:https://www.tnm.jp/
主催:
東京国立博物館、ナポリ国立考古学博物館、朝日新聞社、NHK、NHKプロモーション
特別協賛:住友金属鉱山
協賛:大和ハウス工業、凸版印刷、竹中工務店
後援:イタリア大使館


参考資料:報道内覧会「ポンペイ―ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没」カタログ、 PRESS RELEASE 他。
※画像の無断転載禁止


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